「遺体にわいたウジ虫」を洗い流す看護師、内臓が入れられたビニール袋…《520人が死亡した世界最悪の墜落事故》取材班が見た“遺体安置所の衝撃光景”【日航123便墜落】
…された“奇跡のような瞬間”【日航123便墜落】〉 から続く  1985年8月12日、520人が死亡した「日航123便墜落事故」。同事故の悲惨さがわかる…
(出典:文春オンライン)


日本航空123便墜落事故のサムネイル
日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日(月曜日)に日本航空123便(ボーイング747SR-100)が群馬県多野郡上野村の高天原山山中(御巣鷹の尾根)ヘ墜落した航空事故。日航ジャンボ機墜落事故やジャンボジェット機墜落事故とも呼称される。…
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内臓が入れられたビニール袋という生々しい現実も、忘れがたい印象を残しました。これらの現場を取材することで、航空事故の恐ろしさを改めて実感しました。しかし、こうした情報を発信することは、事故の教訓を未来に生かすための第一歩でもあります。

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2025年8月12日 11時0分
文春オンライン

1985年8月12日、520人が死亡した「日航123便墜落事故」。同事故の悲惨さがわかる遺体安置所として利用された体育館の様子とは? 事故当時、現地を取材したジャーナリストの米田憲司氏の新刊『日航123便事故 40年目の真実』(宝島社)より一部抜粋してお届けする。

遺体安置所となった藤岡市民体育館
 収容遺体の搬送作業は8月14日午前9時40分すぎから始まった。私たちが現場に行った時に自衛隊がヘリが離着陸できるヘリポートを尾根で作っていた。全体が斜面なので、水平になるように土砂を入れて相撲の土俵のようにしていた。その後この場所は、拡張して、1年後に「昇魂之碑」が建立された広場になっている。

収納袋に入れた遺体を順次、藤岡まで搬送する。群馬県警・高崎警察署の飯塚訓氏の著作『墜落遺体御巣鷹山の日航機123便』(講談社1998年6月刊)によると、五体揃った完全遺体、上下部等の一部が残存している遺体、頭部の一部が胴体=心臓とつながっている遺体、離断遺体(頭部、顔面、または下鄂部等の一部がすべて離断している遺体および遺体の一部)に区別し、検視、確認をしたという。身元が確認された遺体は藤岡高校、未確認遺体は藤岡工業高校と藤岡女子高校に安置された。

取材団も遺体を確認する遺族の動向に重点を移さざるを得ない。藤岡市まで上野村から車で移動すると、中里村、万場町、鬼石町を通って藤岡の市民体育館に毎日通うことになった。片道2時間から2時間半はかかる。取材現場が、墜落現場、事故対策本部、藤岡市民体育館の3か所になる。

 前線本部の堀川さん宅では堀川さんの電話を借り上げ、臨時電話も設置して原稿、写真送稿に使っている。事故から4日経ち、1週間ぐらいで交代要員が必要となるので、本局と今後の取材態勢について相談をかける。こちらの算段では、三岐の前線本部は今後1週間程度にし、あとは電話による連絡事務所として、前線本部を藤岡市に移動しようと提案した。

生存者の入院状況も気になっていた。共産党群馬県委員会に協力をお願いして藤岡市の前線本部確保をしてもらった。幸い、藤岡市の市議会議員の高橋恒男さん宅の離れをお借りすることができた。三岐から藤岡まで通うのはあと2、3日になる。議員宅の離れの隣は近所の方の食堂があり、食べる心配はなくなった。

 報道関係者は体育館の検視場には入れない。「関係者以外は立ち入り禁止」の紙が貼られている。入口の白いカーテンの奥に暗幕が張られ、遮断してある。それでもカーテンをずらして中の様子を窺うと、腐臭を和らげる線香の匂いが充満していた。

が、モアッとした空気には遺体から発する独特の臭いが混じっている。机の上には棺が整然と並べられ、内科系と外科系の医師や歯科医師、看護師、警察官が棺ごとに集まって検視作業をしている。

 藤岡多野医師会所属のある医師に聞いたところ、1日目は完全遺体が多かったが、2日目は頭部、胴体、手足が離断した遺体、3日目からは炭化した遺体や手、足、顔などの部分遺体、内臓等がビニール袋に入れられてきたという。当然、日を追って損傷の激しい遺体が到着する。暗幕で検視場を囲んでいるため、体育館内部は人の体温以上の38度前後になっており、腐臭で食事をする気がしてこないし、できない。汗だくで夜遅くまで作業を続け、1日で2キロ以上体重が減ったこともあるという。

「村からハエや蚊がいなくなるはずだなぁ」
 記者の一人が私の背中をたたくので、外に出ると「ちょっと、体育館の裏手を見てください」という。ついていくと部分遺体に看護師がホースで水をかけ、蛆虫を流していた。

「うわぁ、すごい」。蛆虫は見たこともないような大きさに成長していた。「上野村からハエや蚊がいなくなるはずだなぁ」と思った。事故取材は、墜落した機体だけでは一部の理解でしかない。こういう事実を知ることが事故全体の理解につながり、「空の安全」の大事さを痛感する。現場取材の大事さと、後で資料で知ることの違いでもある。

(米田 憲司/Webオリジナル(外部転載))

ソース https://news.livedoor.com/article/detail/29354190/

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